●HOME ●ブログ記事 ●2009年同期会 ●画像一覧

2013年02月21日

模合する人ほど健康

金金会は、もう50年近く続いている。

月1度の集まりである。

今月、2月の会で、前回と前々回の金金会に、都合で参加をしなかったOJ氏がおもむろに立ち上がって

「都合で2回も休んでしまったが、今日は皆に会いたくて朝からウキウキ、待ち遠しかった」

と思いを込めた挨拶を始めた。

OJ氏とは
居酒屋の入り口でバッタリ会ったときに、今日はすごくテンションが高いなと思っていたが
それには久方ぶりの参加という理由があったようだ。

OJ氏のテンションに引かれて、勿論2次会は「カラオケ」大会。

騒ぎまくり・・・です。


times-a.jpg
●画像をクリックすると元画像(600×400px)が開きます。

画像は
県紙、沖縄タイムスの2013年2月19日朝刊に

「模合する人ほど健康」  

の見出しで、紙面のトップに掲載された記事である。

沖縄県(本島)北部の今帰仁村の高齢者を対象にしたアンケート、回答者1183人のデータを分析した琉球大学の白井准教授の調査結果。

●模合など人とのつながりが多い人ほど健康状態が良い傾向がある。
●模合に参加していないに比べ、月に2、3回以上のグループのリスクが半減。

グループ内容では
 「似た同士」がリスク3割減。 「さまざまな人」リスクが6割減。
の調査結果である。

--引用--
白井准教授は「地域活動以外にも『地域を信頼している』『助け合いたい』と思うグループの健康度が高く、健康情報の共有や頼れる仲間がいる安心感、生活の充実などが健康状態に作用しているのでは」と推察している。一方、「もちろん飲みすぎ食べ過ぎは逆効果。適度な飲食と付き合いで、健康を維持してほしい」とくぎをさした。
----

その「健康な模合」と同じように長い間、模会をしている金金会を比較してみると

金金会では
●よく飲む(暴飲?)
●よく食べる(暴食?)
●二次会は必ず(飲みすぎ・騒ぎすぎで疲労?)
の流れが強い。

金金会に参加した結果 
(…にしておきます)
●糖尿病は ! 人
●高血圧が ! 人
●腎臓が ! 人
●その他 ! 人
●予備軍 多数 人

などの疾患を持つ人(!)が多い。

あまり健全な模合とは言えないようだが、(個人的な感想です)
みんな元気。

病でも参加する。

前述したOJ氏の挨拶のように
会わないと寂しくなり、会ったら煩くてしょうがない。

騒がしいのが金金会。
声の大きいのも金金会。
人の話を聞かないのも金金会。

すべて良いこと(…?)づくめです。

この年代ではストレスも無いのではと思いがちだけれど、結構ストレス持ちが多くて
息抜き、ガス抜きの場が「金金会」のようだ。

間違いなく
このブログを纏めている「TT」もその一人である。

皆、高校卒業以来の仲間。

メンバーで今まで飲んだ「泡盛」はどのぐらいの量になっているのだろう!
食べた刺身は

考えないことにしよう。

2012年12月22日

金金会の関連画像集

金金会と関連の画像を少し纏めてみました。
掲載はほんの一部の写真です。

●画像をクリックすると大きいサイズの元画像(600×400px)が開きます。

大浜(旧姓)嬢:帰郷親睦(19期 3年9ルーム) −110627−

da.jpgdb.jpg
▲大浜嬢@                 ▲大浜嬢A

dc.jpgdd.jpg
▲才女の二人:大浜・上江洲嬢        ▲金金会でおなじみA氏 

de.jpgdf.jpg
▲別件で同じ居酒屋に居た金金会のOK氏(奥)  ▲久方ぶりの日越氏とOS氏


dg.jpgdh.jpg
▲UY氏と                    ▲佐久川氏


di.jpg
▲19期 3年9ルームのメンバー

●現在の金金会はこのクラスの仲間が多く、クラス会=金金会の図式が成り立つくらいです。
 

金金会 −111014−

aa.jpgab.jpg

ac.jpgad.jpg


金金会 −120311−

ca.jpgba.jpg

bb.jpg


金金会 −121214−

bc.jpgcb.jpg

cc.jpg




※掲載画像(写真)の「ダウンロードの方法」

 @カーソルを画像の上に置きます。(手のひらカーソルになります)
 Aマウスを左クリックすると、元画像が開きます。
 B元画像の上にカーソルを置き、マウスの右ボタンをクリック。
 Cメニューから「名前をつけて画像を保存」を選択。
 D保存用のウィンドウが開きますので「保存場所」を指定して保存
  ボタンをクリック。
  (確認しやすいようにデスクトップに保存した方がいいでしょう)
 Eダウンロード完了後に、自分なりの「専用ホルダー」を作成して
  保存しましょう。  

●この方法で、あなたのPCに画像を取り込めます。

2011年05月29日

U氏の娘さん、ついに結婚する。

金金会には、間違いなく「親ばか」が2人いる。

一人はT氏(参=下の画像)
娘が2人いるが、未だに結婚しないのは
「親の自分を超える男がいなくて、娘も納得した付き合いが出来ないからだ」
と豪語する。
 
もう一人はU氏、T氏と同じように●代の二人の娘が未だ結婚していない(いなかった)

「親の生活が落ち着いていれば、娘たちは結婚する気も無いようだ。
結婚して苦労するより親のところにいれば、安心して生活できると思っている」

と日頃嘆いて(?)いた。

そのU氏の娘がついに結婚した。
昨日の5月28日、その披露宴が行われた。

笑顔の絶えないU氏に
メンバー全員が祝福をあげたが、2時間余の和気藹々とした時間の最中に
外ではすごい事が起こっていた。

台風2号が沖縄本島に接近して
海に近いホテル(Rホテル・那覇市)では窓ガラスが時々、強風にあおられガタガタとゆれる。
周辺から吹き込むビル風が大きな唸りをあげて、本格的な台風の直撃の様相を呈していた。

披露宴終了後、強い風雨の中、車に便乗して帰る道々には
飲料缶やゴミ箱が風に飛ばされ散乱、音を立てて転がっている。

「わ! あれは何だ」
雨で薄暗いヘッドライトに大きな豚のような黒い影がもさもさと見える。

大きなドラム缶が転がってくる。

翌日のニュースでは、県内各地で停電したり、街路樹が倒れたりの結構な被害があった。

「雨降って、地固まる」の諺を通り越して
「台風一過、晴天になる」の言葉をU氏と●路の娘さんに贈ろう。


画像を掲載します。

●画像をクリックすると大きいサイズの元画像(600×400px)が開きます。

b.jpgc.jpg
▲ダンディを自負するFA氏          ▲K氏(右)とF氏

d.jpge.jpg
▲何か大声のT氏                ▲OS氏(右)・H氏・FA氏

f.jpgg.jpg
▲A氏(左)                    ▲K氏

h.jpgj.jpg
▲挨拶に聞き入るC氏             ▲OJ氏と硬苦しさから逃れたてきたU氏

k.jpgl.jpg
▲H氏とFA氏                  ▲左よりT・C・OJ氏


m.jpgsp1.jpg
▲金金会2大ダンデイのH氏          ▲主役のU氏と後光差す奥さん


画像を確認すると、新郎・新婦の姿が見えません。
失礼しました。

唯我独尊
さすが金金会の皆さん!(何か聞こえる!)

2011年03月12日

O氏宅での金金会

金金会は居酒屋で行うことが基本だが
3月は、O氏のご好意によりO氏の邸宅(?)での開催だった。

メニュー画像のように、氏が腕を振るった料理は

●ひらめのカルパッチョ
●白身魚の香草焼き
●鶏肉と茸のクリーム煮
●他

氏による創作料理の
●冷製パスタのトマトとパプリカ和え
など

全8種類の豪華料理が用意され、O氏の仕事や趣味で培った「料理」をメンバー全員が堪能したが、
高級な料理(!)を食べることの少ないメンバーには、大変なご馳走であった。

と思っている。

酒類は
泡盛の12年、20〜50年古酒をはじめ、ワイン類が揃えられ、皆々、恐縮次第。
50年古酒は、氏のお父さんが甕に仕込んで、熟成させたもので、並みの居酒屋ではとても飲むことの出来ない貴重品。

惜しげもなく金金会の為に、提供してくれる氏の太っ腹に感謝の一言です。

食べるのも初めて
50年古酒も初めて
素晴らしいひと時だったのは、私(T・T)だけでは無いでしょう。

会の写真を掲載します。

●画像をクリックすると大きいサイズの元画像(600×400px)が開きます。

kin3-02.jpg
▲食べつくした料理のメニュー
メンバーのため、わざわざ品書きまで作って歓待してくれた。

kin3-03.jpgkin3-04.jpg
▲古酒泡盛                    ▲何?

kin3-05.jpgkin3-06.jpg
▲無言@                    ▲無言A

kin3-07.jpgkin3-08.jpg
▲無言B                      ▲OS氏

kin3-09.jpgkin3-10.jpg
▲いつも声の大きいT氏、寡黙です!         ▲OZ・K氏

kin3-11.jpgkin3-12.jpg
▲OZ・又吉民人氏                ▲朝チャン・F氏

kin3-13.jpgkin3-14.jpg
▲O・FY氏                    ▲O氏に「つれあい」さん・右は朝チャン


130227追加
又吉民人
  参)養秀同窓会・事務局BLOG(2013・02・19)
   http://blog.youshu.com/office/

2008年12月14日

送る曲(8)17才のこの胸に

 去った金曜日(12.12)は恒例の金金会が開かれた。

1年の締めの12月と言うことで忘年会も兼ねて「鍋」を囲んでの模合だった。

 開催2週間ぐらい前に高校3年で同じクラスだった歯科医のUN嬢(?)から、幹事の私へ久方ぶりで、連絡が入った。

 我々の恩師、中山東先生夫婦が、久しぶりにメンバーに会いたいということである。

 当日は先生ご夫婦に上江洲Nさん、森田Cさんの女性陣の参加もあり和気藹々の模合だった。

 当日の総合司会を快く引き受け、笑いの絶えない適宜な進行を行ったのはOK。

 OKのことは、このブログにも書いてあるが、友人・知人・後輩と万人から信頼を受けている好爺である。

   「懐の深いOK氏」 ← クリック

 OKは我々の高校時代に「御三家」と呼ばれた歌謡界の橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の歌もよく知っていて、とくに西郷の「シリーズ「君だけを」「17歳のこの胸に」を好んで唄っている。

  夜がしずかに 訪れりゃ 湖さみし 風さみし 
   ひとりぼっちの ぼくだから 
    あてなくたどる 落葉松の 林の道を ただひとり 


 この歌は1964(昭和39)年に西郷がシングルレコード「君だけを」でデビューし、「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」とたて続けに大ヒットを飛ばし、4作目のこの歌によって同年の日本レコード大賞新人賞を都はるみとともに受賞した曲である。

 私も西郷の歌は好きであるが、OKのように気持ちを込めては唄えない。

 OKの数多くの持ち歌のひとつであるが、少年のころから唄い続けている貴重な(?)歌として、OKにもしもの時があったとき(失礼!)の曲に選定しておきたい。

 OKも親元を離れ、京都で大学時代を過ごしたころを思い出し、私の勝手な選曲を認めてくれるだろう。

 キャプテン万歳



 

2008年12月05日

送る曲(7)有難や節

 送る曲に「有難や節」を望んだのがKK。

 KKとは中学校以来の同期生であるが、金金会の仲間の大半が定年を迎えて何もすることが無い(何も出来ない。か!)状態なのに、当の本人は朝から晩まで動きっぱなしの忙しい人生を送っている。

 友人と会って話をするのが好きなのか、毎日誰かとお茶を飲みながら世間話(仕事話!)をしているように思われる。

 OJとともに先の金金会では、別件で中座したため、送る曲を決めることが出来なかったが、お茶を飲む機会があったので、その日に決めた。

 「有難や節」は9月に我々に別れを告げたOYも好んで唄っていた曲でもある。

 KKもその曲にしたいとの。

 有難や有難や 有難や有難や
  金がなければ くよくよします
    女に振られりゃ 泣きまする
  腹がへったら おまんまたべて
   寿命尽きれば あの世行き


 『僕は泣いちっち』『大学かぞえうた』…などロカビリーから青春歌謡まで、数々のヒット曲を飛ばした、アイドルスターの元祖と言ってもいい守屋浩の1961年ころの歌である。

 歌ののテンポでは軽く捉えられがちではあるが、歌詞には意味深な言葉が含まれ、我々の世代では知らない者はいないくらい結構唄われているだろう。

 OYが旅立つ日、傍らにいたのがKKとOJ。

 虫の知らせがあったのか、お見舞いに行ったその日のほんの数分前までOYといろいろと世間話をしていたと言う。

 KKが「有難や節」を選んだのもその背景があったからではと個人的には思っているが、もっと深い意味があるかもしれない。

 OYの骨を拾ったとき「もう二度と同期生の骨を拾いたくはない」と言っていたのを思い出す。

KKらしい気持ちと曲である。

 …




 

2008年12月01日

送る曲(6)我亦紅

 月に一度、同期生が集まる模合の金金会の当日に「抜きさしならない用事?」ということで、楽しい二次会にも参加できなかったOJとKKの両人とは、後日に一緒にコーヒーを飲む機会があった。

 籐で出来た椅子に座り、好きなタバコの煙に囲まれ(3人とも愛煙家)身を乗り出して話している姿は、他のお客には老人クラブの反省会のように映っていただろう。

 千年来の友人のように相も変わらずに大きな声で、先の模合、金金会の二次会での話題になった。

 TYがキッカケを作った「送る曲」の話題になって、ひと通りの話を聞いたOJはニコと笑うや「我亦紅」を即に選んだ。

 「行きつけのコーヒースナックで、愛情あふれるホットコーヒーを飲み、BGMに<我亦紅>でも流れたら、いつ死んでもいい!」
 と言う。
 
  「あなたに あなたに 見ていてほしい 
   髪に白髪が まじり始めても
   俺、死ぬまで あなたの子供・・・」


 「我亦紅」は杉本真人が友人の母の死に際し、曲を作ったと言われるが、我々は、ちょうど「詩」に表現されるような年代であり、髪には白髪が目立ち、足腰が弱くなったのが現実である。

 子や孫の世代になった今、子には親が、その親にはまた親が存在したことを痛切に感じる。

 OJも「詩」のもつ意味を自分の現実として受け止めて「我亦紅」に感動しているのだろう。

 連綿と何十年も何百年も繰り返された歴史の現実を見るとすこし寂しい気もする。

 最近「虐待」や「いじめ」の問題が多すぎると思っている。

 我々の時代では…とは言わないが、現代はあまりにも殺伐としているのだろう。

 縦や横の繋がりが希薄になって、「物事をうまく伝えられない」「うまく伝えきれない」現実なのかと考えたりする。

 OJのような「現実を見据えた優しい気持ち」を持ち続けるべきだと思う私も「白髪」の年代である。

 


 

2008年11月22日

送る曲(5)群青

 手折れば散る 薄紫の
   野辺に咲きたる 一輪の
    花に似て儚なきは人の命か   ……


 谷村新司の「群青」の一節である。


 次週には「カラオケ大会」があるとのことで、得意な歌を幾つか唄っていたのがCK。

 CKは歌のレパートリーが広く、ほとんどの歌手の歌が唄えるのではと思っている。

 それらの曲の中でも、アリスの流れをくむ谷村新司や堀内孝雄の歌が好きなようで、表題の「群青」や「昴」「恋唄綴り」をも結構唄っている。

 定年になった後、おきなわソバの専門店を持ちたいということで、調理師免許の取得のために、料理学校(調理専門学校)に二十歳代の若い世代と一緒に通って、資格をとった向上心のある仲間である。

 教室に若い連中と一緒に座っていると、「学院長が座っている様に見えただろう」などと笑って思い出話をするが、結構苦労したのではと思っている。

 また、その専門学校の卒業記念パーティーの日と模合の金金会が同じ日の開催になってしまった時、若い同級生(同期生)から、何度も誘いの連絡があったのも記憶にある。

 若い世代にとって「頼れる同期生」であったのは確かなことだ。

 現在は念願かなって「あかばな」と名付けた素晴らしい「レストラン」を経営して朝早くから動きぱなっしの定年後の人生を送っている。

 CKは得意な曲が多く、絞り込んで「送る曲」を決めていなかったので、独断で、今まで聞いてる中でも「彼らしい」と思われる曲の中から、谷村新司の「群青」を選んでみよう。

 金金会の仲間では反対する人はいないだろう。

 唄い方も丁寧で、語句(歌詞)を一語一語ハッキリと明確に自信を持って唄う。

 「昴」とか「群青」は、年長者(シルバー世代)がカラオケする場合には、かぶらないようにしておく必要がある(笑い)が、我々が難しい旋律を誤魔化しながら唄うよりCKに唄ってもらったほうが、場の雰囲気が落ち着くと思っている。

 楽しみながら「送る曲」を選んでいるが、4、5名分のことをまとめていると気が重くなって、書くのが止まりがちなので、次の金金会では、CKにカラオケで盛り上げてもらおう。

 CKのことだからカラオケ大会もきっと上位に入っているだろう。



2008年11月20日

送る曲(4)水割り

 水割りの 水割りの 酒の力で
   とびだす路地に 冬の雨


渡哲也の「水割り」に決定したのはHK。

 HKは今も現役で、社長業・工場長業・社員業と何役もこなし、朝から夕方まで動きっぱなしの元気な仲間だ。

 HKは常日頃は石原裕次郎の歌が好きで、二次会には必ずと言っていいほど裕次郎の歌を唄う。

 それも「露子」や「北の旅人」のような哀愁を帯びた裕次郎節が好きで、サビ(寂び)の効いた低い声で、黙々と淡々と唄う。

 その唄い声は、超低音で、その魅力でもって数多くの「武勇伝」があるのではと個人的には思っている。(かな?)

 私も裕次郎の歌が好きなので、歌詞の一番はHK、二番は私(TT)、三番はまたHK・又は他の仲間とワーキー(分け)することが多い。

 その彼が、渡哲也の「水割り」を希望した。

 「水割り」の歌詞に「何か、ある言葉…意味」が隠されているのか、ネットで調べて見たのが、頁の頭にある「歌詞」。

 独身のころの思い出が含まれているのか、それともその日だけの心境なのか、機会があれば確認して見ようと思っている。

 今まで紹介した「送る曲」とは、随分かけ離れた「すごく静かな曲」である。

 「送る曲」に相応しいという人と、余りにも寂しすぎる曲だと意見が分かれるだろう。

 HKには、今のように元気で泡盛を酌み交わし、20年も30年も、裕次郎や渡哲也のカラオケを歌い続け、また翌日の仕事に戻ってバリバリと頑張って欲しいものだ。



 


2008年11月18日

送る曲(3)紅孔雀

紅孔雀

前回は「軍歌」の話をしたので、今回は私たちの世代の懐かしい話を。

 最近、仲間のFTが、今まで好んで歌っていた舟木一夫を中心とした純情歌(?)の路線から、もっぱら「紅孔雀」や「笛吹童子」の主題歌を唄うようになっている。

 「紅孔雀」は、北村寿夫原作の『新諸国物語』の1作で、NHKのラジオドラマとして1954年1月から12月まで放送され、人気番組となり話題をさらったと言われています。

 沖縄ではラジオ放送したかどうかの記憶はないが、私が覚えているのは映画で上映され、すごい人気だったと言うこと。

 映画は東映の製作で、主演が中村錦之助(萬屋)で1954年ごろに5作品が劇場公開されている。

 1954年ごろと言えば、私たちも9、10歳。

 「冒険王」や「漫画少年」での連載漫画を楽しみ、「笛吹童子」などの映画に熱を上げていた時代です。

 FTは、その時代のヒット作品「紅孔雀」をカラオケの歌い出しに選曲し、優しい声で、少し低めに唄いだす。

 最近は何度が唄っているうちに記憶にあった「歌詞」も思い出し、今では流れる画像を見ることなく「ソラ」でも唄えるようになったとFTは言う。

 この年代になると一昔、いや五昔(?)のことが思い出され、小学生のころの気持ちになり、カラオケを聞いている私たちも、FTの歌声とともに「薄暗い映画館」で期待と憧れをこめて見た「紅孔雀」を思い出している。

 その気持ちがあるから、FTの「葬送曲」は「紅孔雀」に決めてしまった。

 聞いていて耳に心地よく、すごく郷愁や懐かしさを感じる曲である。
 唄っているFTも当時の思い出に浸り、主人公になった気持ちなのでは。

 しかし、遊びの気持ちで葬送曲を紹介しているが、「割り切れない部分も大きく」選んだ曲が、永久に流れないことを、仲間全員が思っていることだろう。



 

2008年11月17日

送る曲(2)海行かば

海行かば

「軍歌」を好んで歌う仲間がいる。今も現役バリバリで顧客の間を飛び回っているAYのことである。

 3、4カ月前の模合では、安謝にある行きつけの居酒屋を予約して、早い時間からセッティングして、皆を喜ばしてくれたこともあった。

 模合も終わりに近くなって居酒屋の「女将さん」が挨拶に顔を出し、

 「AYさんは、友達もいない一人ぼっちの孤独な人かと思ったら、こんなに大勢の楽しい友人がいるのだね」
 「友だちがたくさん居ると言っていたけど、嘘に決まっている思っていた」
と仲間の前で言われて照れていた御人である。

AYは何故か「軍歌」が好きで、数多くの歌を知っている。

「加藤隼戦闘隊」「麦と兵隊」などなど。

「葬送曲」選びのときに一発で軍歌の「海行かば」に決まった。

 さて、カラオケ披露になり、前奏が流れ本人が唄いはじめる。

 なにか可笑しい。

 同時に2つの曲を唄っている様な流れである。しばらくして、その理由が分かったけど、一生懸命に唄っている本人の顔を立てて「不思議な音階」を認めてしまおう。

 もともと、この曲は「葬送曲」であるので、かりに流される日が来ても違和感はないだろう。

 つい先日、「日本は侵略国家であったのか」の論文を世にだし、航空幕僚長を更迭された方とは無関係ではあるが、参列者には気を遣う必要があるのでは、と思ったりしている。

 本人が好きな曲だから「よし」としておこう。

 遊びや、場の雰囲気で和気あいあいと曲を選んでいるが、現実は避けたい気持ちである。


2008年11月15日

送る曲(1)バスストップ

バスストップ

 模合の金金会の二次会のとき、TYが、「カラオケで例の歌、歌ってくれ、例の裕次郎のやつ」

と私に言った。

「嵐…でいいのか」と確認すると、「そう嵐…」といいつつ言葉を続けた。

「OYの告別式の時に思ったけど、皆んなの送る曲…葬送曲を決めておきたい。」
「葬送曲だ!」と言う。

 TYの「いつもの冗談」であることは分かっていたが、話題は「葬送曲」選びに移った。

 ○○は絶対に××の曲だ!
 □□は△△だな。

「いつも好んで唄う歌」が候補に上がった。

 当のTYは、1970年代に大ヒットした平浩二の「バスストップ」
 全員が二次会のカラオケタイムの時には必ず一度は聞く歌だ。

 まさか!!
 
 TYは、天国(?)から迎えに来るバスをバスストップで待っている心境ではないだろう。

 決まった曲をカラオケすることになって、TYがマイクを持ち唄いはじめる。

 TYはバスストップを気持ちよさそうに歌うが、常日頃から声の大きいTYにはカラオケマイクも必要ではないようだ。

 「マイクは必要ないだろう」と言うと、悪戯心に火がついて、余計にまた一段と大きな声で唄い続ける。
 
 もし「葬送の日」に、この曲が流れたら、参列している方々が絶対に「絶叫」すると思っている。

 静かに冥福を祈る会場に、突然カラオケが流れ、大きな声で本人が唄っていて、それも会場も割れんばかりの大音量で流れたら。

 事情をよく知っている我々でも「涙を流すのか、笑うのか」この状況ではよく分からない。

 遊びと現実的な話題にすこし複雑な気持ちでのカラオケ披露が続いた。

 仲間たちの「葬送曲」が流されるのが、20年後、30年後、いや、せめて40年くらい後に、さらに新聞の黒枠では「大往生」と書かれて欲しいものだ。



2008年10月10日

OYの旅立ち

友人OY(小那覇安光)の思い出。

 去った9月の末に友人の小那覇安光氏が旅立った。

 昨年から、拡張性心筋症で入院していて、一時期はペースメーカーを付け、本人も「携帯電話」の電波は悪い影響があるので、ということでPHSに変更したと仲間達に伝え、健康に気を使っていたが、急な別れとなった。

 OYは私達の模合(モアイ)金金会のメンバーで、金金会ブログの一番最初に出てくる友人である。

  ★「友人OY氏、自分史をだす。」 ←クリック

  ★「同世代回顧録=他人の出来事」(ブログ編) ←クリック

 私とは高等学校の2年の時に同じクラスである。

 高校時代の話題もOYについてのことが、数多くあり、ブログでも数多く出てくる「話題の仲間」であった。

 おいおい記憶を辿りつつ、ブログに書くつもりでいるが、非常に個性的な輩で、息を吸い込んで大声で笑う、独特な笑い方を今でも思い出す。

 模合の二次会のカラオケでは守屋弘の「ありがたや節」を好んで歌い、健康上の都合で泡盛(酒)は一滴も飲まないけど、スナックの女の子には、「俺のは9:1で作って」といい、「泡盛9に水が1ですか」との返事に、「ウーロン茶9に水1だよ」と大声で笑っていたこともある、結構茶目っ気のあったOYだった。

 記憶力は抜群で、その記憶をまとめたのが


の自分史である。

 「出版祝賀会」で友人・知人の前に立ち、出版までの経過や出版後の気持ちを述べ、誇り高い表情をしていたOYを今でも思い出す。

 わたしがブログを纏めてみたい気持ちになったのも、OYの自分史を見てからであり、触発されたからでもある。
 
 OYは生涯独身で過ごしてきた。

 仲間達も気遣い「仲良くなれそうな人」を紹介してきたが、本人の目にかなう人がいなかったようだ。

 今では「可愛い天使」たちに囲まれて、ニヤニヤ(ニコニコかな)しているだろうと思っている。

 OYの話題はメンバー内では、尽きることはないだろう。

………………………………………………………………………………………………

注)
 管理人が小那覇氏の自分史「同世代回顧録=他人の出来事=」をOCR機能(読み取り機能)を用いて、氏の本を「そのママ」データ化して、ブログ形式にしたものです。
 氏の本が手元にない方はブログを参照して下さい。



2008年05月10日

会一番の頑張り屋OJ氏(3)

 ゴールデンウイークも明けて、また忙しい日々が始まる人たちも多いだろう。

 先週の第二金曜日は定例の模合だった。
 今回の幹事は私とOJ。
 場所は私たちに対していつも気を使って「食べきれない位の料理」を出してくれる首里観音堂近くの居酒屋の「梅八」。

 定刻の7時には大半のメンバーが集まり、今までにはない早いテンポの会合だった。

 先月から、今までオブザーバーとして参加していたFYが、また正式にメンバーとして復帰してきた。
 しかし定員1名オーバーにはなっていない。「自分史」まとめてOYが、体調を崩し入院していたが、先々月に無事退院した。

 退院はしたが「無理はいけない」と、しばらく参加を休止することになってオブザーバーとなってしまった。

 OAだけではなく、会のメンバーが年末・年始の疲労と長年の不摂生がたたったのか、金金会も少し覇気がなく恒例の2次会も中止することが多かった。
 今回も中止ではと思っていたが、幹事のOJは意を決して、半ば強引と思われるくらい、二次会の店の予約から時間、参加人数まで決定しておいて、皆に呼びかけた。

 二次会が中止気味だったことをOJは「努力してやっと参加できた金金会が分裂するのでは」と気にかけていたようだ。

 OJは
 「金金会を通して友人も数多くいる。若いうちは友達のことなどあまり気にしなかったが、今はその友人たちに囲まれて助けられてもいる」

 「ここ2、3ヶ月、結束の固かった「金金会」が模合を終わると、散っていく姿を見ていると、寂しく感じる」

 「元のあの活気ある会に戻すため、今回は気合を入れ、幹事の立場を利用して、もうすでに今日の二次会は設定してある」

 「今日の二次会はぜひ参加して欲しい」

 メンバー全員、感じるところがあって「アチャー、言われた」と心の中では思っていたのではないか。

 二次会には、どうしても別件で参加できない2名のほか全員が参加した。
 14名中12名の参加はここ数年では珍しいこと。
 何かの「きっかけをつくりあげる重要性」変な方向に流れている現状を打開する「一言」

 自ら進んで行動するには結構勇気がいる。
 それをOJはやってのけた。

 OJが設定した二次会の場では、みな元の老人クラブの会員のままだった。
 ★声が大きくカラオケにもマイクのいらない「TY」
 ★優しいムードでカラオケを歌う「FT」
 ★レパートリーが広く、いつも新しい分野を披露する「OK」
 ★待望の店を国の機関内にオープンした老人調理師免許所持者「CK」
 ★軍歌が好きで、会社の同僚たちに褒められた歌を披露する「AY」
 ★いつも笑顔で話すが、カラオケを聞いたこともない「KK」
 ★沖縄民謡と熊本民謡は同根にあるといい続ける「FY」
 ★渋い声で裕次郎をレパートリーにして、皆を惑わす「HK」
 ★不思議なことに、年とともに八時半の男から抜け出た「UY」
 ★未だ八時半の男を死守し、大御所ぶりを発揮する「MN」
 ★燃える男で気遣いの男、幹事にはうってつけの「OJ」
 ★そしてなにもない私…「TT」

 さらに
 ★体調の関係で参加できない「OS」
 ★孫のため早く切り上げた武士の末裔「KM」
 ★休息中の「OA」 ←飯はちゃんと食っているのかな?

 「金金会」の全メンバーである。
 
 今日をきっかけに、また元の「老人クラブ青年部」に戻るだろう。
 (「少年部」かもしれない)
 OJの気遣いと、メンバーに対する優しい気持ちを汲んで、私もまた気を引き締め、このブログを再開しよう。

 この日記が、金金会の歴史を語るブログになるように。


…………………………………………………………………………………………

2008年02月29日

会一番の頑張り屋OJ氏(2)

 金金会では忘年会を模合と同時に開催することが多い。

 昨年の忘年会は模合開催日に栄町の居酒屋「美らS」で催った。忘年会と言っても例会の金金会の延長だと思っていい。

12月といえば温かい沖縄でも、肌寒い季節である。

 テーブルには幹事が気を遣い「鍋物」が用意され、部屋中に湯気が立ち昇る冬の風物詩のような暖かい雰囲気だった。

 会も中盤。泡盛の酔いと、久しぶりに会う仲間たちのテンションは上昇気味。

 テーブル越しの端に座るOJを見ると、いつものとはちょっと違う雰囲気。

 そうだ、OJは白いYシャツにネクタイ姿。普段のラフな姿のOJとは雰囲気が異なる。

「はいさい!OJ、今日は披露宴パーティーでもあったのかな」

「だからよー」※

「ヌーガ」※

「先月、ワッターヤー※でKKやMNと一緒に飲んだんだ。その時にMNが
『来月の金金会は一年の締めくくりとして忘年会も兼ねることにしている。スーツとネクタイで参加することに決定しているから、忘れないように』」

と言うから

「今日は気合を入れて、ネクタイ姿で来たのに、みんなラフな格好ではないか。MNに騙された」
と嘆きの一言。

そばに座って笑いながらOJの話を聞いているKKも「僕も持ってるぜ」
とシャツのポケットからネクタイを取り出した。KKもOJと同じように正装して来ていたのだ。

「正装での参加」と言ったMNを見ると、いつもの通りのラフ姿。

二人をからかったのか、または例の「八時半の男」※ぷりなのか。
当の本人は「忘れた」と言っているようだ。

kinojkk02.jpg
(左から)今では年に数回程度しか着用しないスーツ姿のOJ、TTとKK

 OJはその日の●次会は、年に数回しか着用しないスーツ姿で、市内でも名の知れた「高級クラブ」に行ったとか、行かなかったとかと言う話だ。

 OJの金金会に対する愛情が汲み取れるリアクションだ。常日頃、連絡を取り合っている、ほかの仲間にも確認しないところもOJらしい。


 

 ………………………………………………………………………………………
【語句】
 ダカラヨー=(方言)代表的な沖縄標準語の一つ。
        肯定の意で使うことが多い。「ダッカラヨー」とも。
 ヌーガ  =(方言)何で、何故。「ヌーヤガ」とも。
 ワッターヤー=(方言)
         ワッター=私の(単・複)
         ヤー  =家

2008年01月15日

会一番の頑張り屋OJ氏(1)

 OJが金金会に参加して3年になる。

 OYの誘いで、ゲストとして顔を出したのが最初で、会のメンバーが全員同期生のうえ、場の雰囲気も良く、いい感じの会合で楽しかったと言う。

 その翌月から、第二金曜日になるとゲストとして参加した。

 OJの本音はメンバー入りだったが、当時は人数制限があり、なかなかその気持ちは叶えられなかった。

 OJが参加したい意向を伝えてから6カ月以上経っていたが、いまだにメンバー入りは認められていなかった。

その保留理由が、また面白い。

★=OJ君、金金会のメンバー入りしたいのか?
 
★=金金会にそう簡単に入れると思ったら間違いだぞ。

★=金金会入会には、試験がある。
  一次試験は、大学入試と同じレベルの教養試験。
  次に二次試験。
  二次試験は、一次より簡単な泡盛の飲み方。一次、二次を合格したから
  もう会員だと思って安心するな。
 
★=ここからが、もっとも重要。
  全メンバーによる面接だ。まー、OJ君はみんなの友人だからスムーズに
  いくだろうが、次がもっとも難しい四次試験だ。

★=四次は幹部の面接。
  その面接をへて初めて金金会の仲間入りだ。
  ここに居る全員が、合格したメンバーなんだぞ!
 
★=そこで、今月も試験の日程がまだ決まらないからOJ君の入会は保留だ。


 
 まるで老人クラブ内での「仲間イジメ」である。

 私には試験を受けたことも、面接をされた記憶もない。ほかのメンバーも同じように受けていないのは事実で、その件は初めて聞いた。

 そもそも面接の「幹部」とは誰のことだろうか?
 私にも分からないし、OJも苦笑いだったのでは。
 
 仲間うちの会話の遊びや楽しみ方、会の雰囲気がわかる人には、イジメではないことがすぐに理解出来るだろう。

 OJは毎月の金金会には、いつも必死の参加であった。
 
 ちょうどそのころ、東京で沖縄関係の物品を扱っているKKもゲストとして参加していた。
 月に一度は郷土商材の仕入れのため、東京から飛行機で那覇入りしているような仕事をもっていた。

 KKも金金会入りを希望していたが、OJと同じように、まだ人数調整が出来てなく保留にしてあったが、2,3回のゲスト参加で正式にメンバー入りの発表があった。

 OJが不満顔をすると、

 ★は即座に、

 ★=KKはわざわざ、東京から毎月、飛行機に乗って那覇まで「金金会」に
   参加するために飛んでくる気迫があるから、即参加を認める。
 
   OJ君は、まだまだ気概が足りないから「保留」だ。

 OJにはその返答は不服で、納得できない問題だっただろう。

 ある月の金金会、私は「会社のお祝い事のため」二次会から参加した。 
 みんなに会釈してテーブルにつくやいなや、OJがあゆみよってきた。
 
 「今日、金金会入りが決まったよ」

 と、まるで待ち焦がれた初孫が誕生したような、満面の笑顔で喜びを表し 話しかけた。


 途中参加になるため、模合金も2,3万円。
 OJはいつでも参加できるように、毎月そのお金を用意していたとのことだ。


kin0116.jpg
▲早朝の清清しいコースで、カップを狙うOJ


 OJの律儀な性格をよく表している。

 6カ月近くもかかってOJも金金会の仲間入り。そのときのOJの笑顔が今でも忘れられない。

 試験問題のくだりは、悪いのは★のように思えるが、OJを会のメンバーに迎えたいという気持ちとは別に、人数調整の難しい問題をかかえ、解決するための、★の考え出した苦肉の策だったと、今ではみんなで笑っている。


 

………………………………………………………………………………………

2007年11月06日

懐の深いOK氏(3)

kin1105.jpg




 OKはカラオケが「超」がつくほど大好きである。
 
 歌詞の一字一句を丁寧に歌い上げ、その歌唱力
 は抜群で、選曲にもスマートさを感じさせる。

 じつに楽しそうに、歌詞を明確にひろい、言葉を
 濁して誤魔化すようなことは、決してしない。


 私も弟子入りを志望しているくらいである。



 
 昨年、高校の時の恩師、H先生の出版祝賀会があった。

 H先生は、国語を担当していたが、当時から県内の文学界で活躍し、著書も数多く、マスコミにも頻繁に顔を出すほどの著名人である。
 
 先の「同世代回顧録…他人の出来事」に記してある、
「文部大臣旗全国高等学校弁論大会で全国一」の快挙を成し遂げてときの顧問がH先生である。

 当日は、文学界の方々や教え子らが多数駆けつけ「古希の祝い」と「第三歌集」の出版を盛大な拍手で祝った。


 私たち金金会のメンバーも会場でおちあい、OKはつれあいのSさんを同伴で参加した。
 金金会のメンバーが集まっているのをいいことに、祝賀会の終了後、二次会を開くことになった。

 酒もすすみ、話も弾み、カラオケタイムへと流れたとき、OKが「Sさん」とのデュエットを披露した。

 Sさんのカラオケをはじめて聞いたが、OKと同じように一字一句、明確に、丁寧に歌う。

 その唄い方は、お互いにソックリである。

 そのとき、ふと「OKの方がSさんから、影響を大きく受けている」のだと思った。

 決してその逆ではないだろう。

 OKはダンスも一通りこなし、とくにアップテンポ系は、軽い身のこなしで評判がいい。
TYを含めたメタボ集団のジルバ大会は二次会会場(?)が壊れるくらいの騒々しさである。

 二人はアップテンポ系のジルバを踊った。

 今まで一緒にダンスしたことが無いということだが、同席しているメンバーもびっくりするくらい、Sさんは早いテンポのリズムに乗ってくる。まるで、いまの若い人たちが踊っているようだ。

 一曲終わった後、OKは照れたように、

 「は、は。上手なんだ。知らなかった!」と一言。

 その日は、「OK夫婦デー」のような、和やかな雰囲気の、楽しいカラオケとダンスタイムだった。

 私たちに接する以上に、Sさんに気を遣うOKを見ていると、

 「お互いを信頼しあう気持ちがあってこそ、一緒にいることの安心感が生まれ、理解し合える二人の人生が築かれる」のだと伝わってくる。

 事実、「素晴らしい、つれあい同士」であり、年を重ねていても、爽やかである。

 いい一日だった。


手(チョキ)懐の広いOK氏(終章)





 ………………………………………………………………………………………

posted by 利爺 at 00:00 | 沖縄 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 15人の素晴らしい仲間たち

2007年11月05日

懐の深いOK氏(2)

 OKが金金会に参加して7年以上になる。

 参加のきっかけは、OKの勤務している某観光ホテルに、仲間のFYが顔を出し、雑談の最中に金金会にゲストとして誘われたことにある。

 初めてゲストとして参加したのは、市内の松尾にあるホテル内の居酒屋だった。

 仕事の途中に立ち寄ったような出で立ちで、皮製の営業バッグを持って颯爽と現れた。

 金金会のメンバーの大半がOKとは、同じクラスで机を並べた経験があり、何の違和感も無くゲストとして迎え入れ、久々に高校時代の仲間と会った喜びで場が和んだ。

 その日は久しぶりの同期会のように大いに笑い、楽しく騒いだ。

 その翌月からOKは正式な金金会の会員なった。

 素早い結論だった。

 OKは最初に会った日、黒い髪の一部に、銀色のメッシュをして、今風の若者らしい雰囲気をかもし出していた。 
 私も茶髪にしてみたい気持ちはあるが、勇気が無く一度も染めたことがなかったので、OKには感心していた。

 最近、そのメッシュの話をした。
 
 「メッシュの白い色は地毛の白髪で、全体的に黒系に髪を染めたけど、前髪の一部だけを染めずに残してあったのが、かっこいい銀色のメッシュに見えたのだろう。」と笑った。

 結構、昔から茶目っ気のある輩である。


kin1106.jpg
▲二次会で騒ぎ疲れた記念の写真 OK(右)とTT(左)(ぼかし処理)



 杯を重ねても、酔いつぶれるまでは飲むことはなく、大騒ぎをするにも限度をわきまえていて、仲間に迷惑をかけることもない。

 忘年会、食事会や旅行(※)など、いろいろな企画を提案をして、私たちのために、忙しい時間を割いて、動いてくれることも多い。

 広い心でもって、私たちの話を笑顔で聞いてくれる大親分の才覚を持っている。

 先に紹介したTYは、仲間の○○に向かって「君は今まで、独りよがりのことが多かったけど、唯一、いいことをしたと認めるのは、OKを金金会に紹介してくれたことだ」と冗談とも本気とも取れる言葉で言ったことがある。

 そのくらいOKの存在は大きい。

 今月の金金会もOKが企画した「食事会」をすることにした。

 今までの居酒屋とは少し雰囲気の異なる場所での集まりなので、今から楽しみにしている。






 ………………………………………………………………………………………

 3年前、OKの企画で那覇の西方100キロほでにある久米島に、一泊旅行をした。そのときの話は近いうちにまとめてみたい。


posted by 利爺 at 08:52 | 沖縄 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 15人の素晴らしい仲間たち

2007年10月28日

懐の深いOK氏(1)

わーい(嬉しい顔) 『イラスト制作中』
  

 OKは金金会一の常識派である。

 某航空会社関連の観光ホテルの役員であったが、両親の介護を目的に退職した、優しい心根と、思い切りのよさの両方を併せ持っている。

 根っからの優しいさで、家庭を包み込んでいる素晴らしい輩で、名刺入れには「最愛のつれあい」と「愛犬」の写真をしのばせ、つねに持ち歩いている。
 愛犬は黒毛の雑種で、道で彷徨っていたのを、家族の一員として育てているという。

 その一方、家族や親戚がおもに教育界で活躍している中、彼だけは、サービス業界に飛び込むというチャレンジ精神も持ちあわせている。

 高校生のころから活発で、

 「OK君はクラブ活動を柔道、相撲、空手、詩吟と四つもこなして、タフ振りを発揮していた。」 
   『同世代回顧録…他人の出来事』より


 とくに、先生方からは「覚えのいい」生徒であった。

 還暦を記念して集まった同期会で、先生方とOKが一緒に撮った写真には、お互いに歳を重ねた白髪交じりの集団が映っている。

 OKも違和感なく、笑って並んで映っているが、その中の誰が「恩師」で、誰が「生徒」なのか、初めて写真を見る人には、区別がつかないだろう。
 
 卒業以来、先生も生徒もお互いに年を重ね、定年を迎えた年代ではあるが、それでも先生方は、OKのことを「この子は高校のころの教え子で…」と知人らに紹介している。

 OKのつれあいSさんが「奥さん、この子のことをお願いしますね」と挨拶され、目を白黒にしてたのは、つい最近のことである。

シルバーエイジのOKも先生方にとっては、いつまでも「この子」なのだ。
  
……

 
 高校2年の初冬(※)の運動会で、クラスから仮装行列を出すことが決まり、前日の深夜までクラス仲間と仮装で用いる旗や垂れ幕の準備をした。

 「仮装行列のタイトルは次郎長一家と丹下左膳だった。専門家の話では、両方は時代考証的には間違っているということだった。(略)」  『同世代回顧録…他人の出来事』引用

 クラス全員が参加できる仮装行列をと、当時、人気のあった「次郎長一家」に、奇異な姿が売り物の「丹下左膳」を組み併せた仮装を、遊び心で決めたように思う。
 
 次郎長親分は、勿論クラスの人気者のOKが、自分史を書いたOYが丹下左膳、TYは大政、そして私は桶屋の吉五郎だったと記憶している。

 当時は裕福な世帯が少なく、浴衣を持っていない家庭が多かった。「次郎長一家」の使用する着物の代用として「寝巻き」を用いた。腰に挿す長ドス(※)は、近くから拾ってきた細長い廃材に、段ボールで作った柄を貼り付けて仕上げた。 

 当日は、本部席の前で全員集合のうえ、親分の次郎長が「啖呵」を切る約束になっていた。

 校長先生をはじめ、来賓の方々の臨席している前で、OKがドスの利いた声で啖呵切った。
 大役(?)を果たした我々は、グランドで次郎長親分と丹下左膳の対決などのアトラクションを行い楽しんだ。

kin1029.jpg
▲歴史上ありえない次郎長親分(OK)と丹下左膳(OY)の一騎打ち
   (ぼかし処理:写真はOY氏提供)

 
 金金会の席で、OKは当時を懐かしみ「来賓席に、親父が座っているのに気づき、『ヤバイ(※)』と思い、親父と目を合わさずに啖呵を切ったが、冷や汗ものだった」と話している。

 一緒に仮装行列に参加した私が、そのこと知ったのは最近である。

 過ぎ去った運動会の夜、OKと彼のお父さんが、どのような話をしたかは聞いてはいないが、むしろ息子のことを誇りに思ったのではないだろうか。

 OKは、その当時から物怖じしない性格と、誰とでも気楽に話す、気安い性格のため、同期生や後輩たちから、一番の「名前の知られた」友人であり、この年になっても、居酒屋などでよく声をかけられている。
       




 ………………………………………………………………………………………

『語句』
 ドス =(短刀)
 長ドス=(武士の持つ刀よりは短いが、短刀よりは長い刀)
 ヤバイ=(まずい、危ないの意)

 ※当時の運動会は創立記念日の12月の初旬に開催していた。

posted by 利爺 at 23:01 | 沖縄 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 15人の素晴らしい仲間たち

2007年10月22日

TY氏の小さな生きがい(3)

 
 合コンのような騒がしい嵐が一段落すると、幹事は二次会へ参加する「人数の確認」と「温かく迎えてくれるお店」の手配をする。

 そこにもTYは顔をだし、手帳から「各店」の情報を幹事に流す。

 TYは仕事やプライベートで、交換した名刺には「日時、打ち合わせ内容」などのメモをとる習慣がある。

 名刺やメモ類を整理することは営業の基本であり、重要なことであるが、TYは二次会や懇親で立ち寄った「店の名刺」や「女の子の名刺」にも同じようにメモとっている。

 「髪の毛が長く肩までのびている」とか「右頬にホクロが二つ」などの特徴を記入し、次に会った時のための用意をする。さらに翌日にはそのメモ書きを「手帳」に転記する細心さである。

 「相手の顔と名前を覚えるのは営業の基本だ」と私たちには言うが「純な気持ち」かどうかは、本人以外は知らない。

 TYは二次会でも人気者だ。
 座る席もつねに「両手に花」状態。カラオケでブルースなどの曲が流れると、誰よりも先にダンスを踊る特技を見せてくれる。

 時にはいつまで待っても、曲が流れないと「誘い水」のため、みずから1曲歌う。

 アップテンポの曲も好きで、あの体躯でテンポのあるリズムにも上手くのり、実に楽しそうにステップを踏む。これが「老人クラブの会員?」かと思うくらいの身の軽さで、2、3曲連続で踊っても平気な顔をしている。

 ダンスと同じように携帯メールも得意で、雑談の最中でも「ピピ」と「誰かに?」メールを送る器用さと、素早さを持ち合わしている。

kin1020.jpg
▲誰よりも先にダンスを踊る特技を見せてくれるTY(ノイズ:ぼかし処理)


 いつも騒いでいるように見えるTYでも、初めての店では、自社ブランドの「S礼」や「D流」の泡盛の売り込みをする。
 仲間と一緒に店に行くのは、自社製品の紹介や、市場を把握するための営業も兼ねているところもあり、つねに自分の立場を決して忘れない。

 ちなみに、この私はTYから「友人の俺が作った泡盛を、君が売り込まなくてどうする」と仲間うちでの「営業部長?」を任命され、ありがたく拝命しているが、ほかの店でも「S礼」「D流」以外は、飲んではいけない「苦しい立場?」に追い込まれている。

 TYは仕事上の付き合いや友人・知人からの誘いも多く、いつが休肝日かと思うくらい酒席が多いが、運動をしたり、好きなウェイトリフティングを楽しみつつ、自らの健康管理しているという。

 私たち仲間同士の仲がいいのは、TYの汗を惜しまない協力や、メンバーに対する気遣いがあるからだと思っている。

 そしてTYのことを仲間たちが、よく理解しているからでもある。

手(チョキ)「TY氏の小さな生きがい」(終章)



 ……………………………………………………………………………………


posted by 利爺 at 09:00 | 沖縄 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 15人の素晴らしい仲間たち