『イラスト制作中』
OKは金金会一の常識派である。
某航空会社関連の観光ホテルの役員であったが、両親の介護を目的に退職した、優しい心根と、思い切りのよさの両方を併せ持っている。
根っからの優しいさで、家庭を包み込んでいる素晴らしい輩で、名刺入れには「最愛のつれあい」と「愛犬」の写真をしのばせ、つねに持ち歩いている。
愛犬は黒毛の雑種で、道で彷徨っていたのを、家族の一員として育てているという。
その一方、家族や親戚がおもに教育界で活躍している中、彼だけは、サービス業界に飛び込むというチャレンジ精神も持ちあわせている。
高校生のころから活発で、
「OK君はクラブ活動を柔道、相撲、空手、詩吟と四つもこなして、タフ振りを発揮していた。」
『同世代回顧録…他人の出来事』より
とくに、先生方からは「覚えのいい」生徒であった。
還暦を記念して集まった同期会で、先生方とOKが一緒に撮った写真には、お互いに歳を重ねた白髪交じりの集団が映っている。
OKも違和感なく、笑って並んで映っているが、その中の誰が「恩師」で、誰が「生徒」なのか、初めて写真を見る人には、区別がつかないだろう。
卒業以来、先生も生徒もお互いに年を重ね、定年を迎えた年代ではあるが、それでも先生方は、OKのことを「この子は高校のころの教え子で…」と知人らに紹介している。
OKのつれあいSさんが「奥さん、この子のことをお願いしますね」と挨拶され、目を白黒にしてたのは、つい最近のことである。
シルバーエイジのOKも先生方にとっては、いつまでも「この子」なのだ。
……
高校2年の初冬(※)の運動会で、クラスから仮装行列を出すことが決まり、前日の深夜までクラス仲間と仮装で用いる旗や垂れ幕の準備をした。
「仮装行列のタイトルは次郎長一家と丹下左膳だった。専門家の話では、両方は時代考証的には間違っているということだった。(略)」 『同世代回顧録…他人の出来事』引用
クラス全員が参加できる仮装行列をと、当時、人気のあった「次郎長一家」に、奇異な姿が売り物の「丹下左膳」を組み併せた仮装を、遊び心で決めたように思う。
次郎長親分は、勿論クラスの人気者のOKが、自分史を書いたOYが丹下左膳、TYは大政、そして私は桶屋の吉五郎だったと記憶している。
当時は裕福な世帯が少なく、浴衣を持っていない家庭が多かった。「次郎長一家」の使用する着物の代用として「寝巻き」を用いた。腰に挿す長ドス(※)は、近くから拾ってきた細長い廃材に、段ボールで作った柄を貼り付けて仕上げた。
当日は、本部席の前で全員集合のうえ、親分の次郎長が「啖呵」を切る約束になっていた。
校長先生をはじめ、来賓の方々の臨席している前で、OKがドスの利いた声で啖呵切った。
大役(?)を果たした我々は、グランドで次郎長親分と丹下左膳の対決などのアトラクションを行い楽しんだ。
▲歴史上ありえない次郎長親分(OK)と丹下左膳(OY)の一騎打ち
(ぼかし処理:写真はOY氏提供)
金金会の席で、OKは当時を懐かしみ「来賓席に、親父が座っているのに気づき、『ヤバイ(※)』と思い、親父と目を合わさずに啖呵を切ったが、冷や汗ものだった」と話している。
一緒に仮装行列に参加した私が、そのこと知ったのは最近である。
過ぎ去った運動会の夜、OKと彼のお父さんが、どのような話をしたかは聞いてはいないが、むしろ息子のことを誇りに思ったのではないだろうか。
OKは、その当時から物怖じしない性格と、誰とでも気楽に話す、気安い性格のため、同期生や後輩たちから、一番の「名前の知られた」友人であり、この年になっても、居酒屋などでよく声をかけられている。
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『語句』
ドス =(短刀)
長ドス=(武士の持つ刀よりは短いが、短刀よりは長い刀)
ヤバイ=(まずい、危ないの意)
※当時の運動会は創立記念日の12月の初旬に開催していた。
10月31日に同期会が有ると知りメイルしました。
私は40年働いた職場を辞し、毎日が日曜日という生活に戸惑いながらようやく慣れて来たところです。
沖縄には年に2回くらい帰ることが有りますが、1度だけ中学の同期会に出席しただけで皆さんにお目にかかることもありませんね。
中山東先生と出ていて、懐かしく思い出しました。
どうぞ、皆さんによろしくお伝えください。